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マス釣り・竿頭

マス釣り・竿頭

暦の上ではすでに立春を過ぎてほぼ一ヵ月にもなろうとしているのに、
昨日一昨日の札幌は数年に一度のひどい暴風雪でした。
いかがお過ごしでしょうか。

札幌市 たまき矯正歯科 院長の玉木弘孝です。

先日、連日の時化(シケ=荒れた海のこと)続きの中、
たまたま休診日が凪(ナギ=穏やかな海のこと)に当たり、
苫小牧沖へマス釣りに行ってきました。

朝4時半、氷点下10°以下のまだ暗い中、勇払マリーナから出る乗り合いの遊漁船に
乗って、一時間以上沖合いの水深110メートル付近のポイントに着いてから
(その頃にはあたりも明るくなり)、マス釣りを開始しました。

最初の一時間は外道(目的外の魚)のスケソウダラばかりが釣れてしまいます。
今のスケソウはもう卵を産んでしまっているので、
型の良いのを10本ほど残して、海にリリースです。
(1月中のスケソウだと卵胞ものなので自家製タラコを作れるのですが)

そのうちぽつぽつと、ときには連続で、あるいはダブルでマスが釣れました。
マスはスケソウダラとは全然違う竿の引きです。
アタリがあった瞬間からその強烈な引きで、あっマスだと分かります。
釣り上げた船の上で元気に飛び跳ねる銀ピカに輝くマスは、
厳冬の太平洋上の極寒と700グラムのバケ(マス釣り用の魚の形の様なオモリ)を
6時間も上下に振り続ける疲労を吹き飛ばしてくれます。

マス

(マスのエラの所と尻尾の付け根にナイフを入れ、血抜きと神経〆をしています)

この写真を撮ったあと、もう一本釣れて合計8本の大漁でした。
ラッキーなことに遊漁船の乗り合い客6人中一番多く釣れてしまいました。

船で一番えらく一番権限のある人を船の頭(カシラ)と書いて「船頭」とい言います。
同じ船に乗った釣り人の中で一番たくさん目的とする魚を釣った人を竿の頭と書いて
「竿頭(サオガシラ)」と言います。
船で一番権限のある船頭さんが、私のことを「あんたが竿頭だったよ」
と言ってくれました。
なんだか照れくさい気持ちです。

釣り上げたマスは本当に力強くバタバタと動くので、
ふつうはすぐにマスの頭を小さいこん棒叩いて脳しんとうを起こさせてから、
クーラーボックスに入れます。
それでも元気のいいマスはクーラーボックスのなかで飛び跳ねています。
魚が絶命するまでにあまりに激しく動きすぎると、血液が身の方に回ったり
身の疲労物質がたまったりして、料理して食べる時生臭さがあったり
鮮度が失われ易く、おいしくなくなってしまいます。

それで釣った魚は早めに血抜きをして、苦しまずに即死してもらうのが(魚にとっても良く)
おいしくいただく為の原則です。(ブリなんかもそうです。)

マスのフライ

(揚げたてのマスのフライはレモン汁を一振りし、タルタルソースで食べると最高!)

私は釣ったマスをすぐに両側のエラの所と尻尾の付け根にナイフを入れ
血抜きと神経〆をします。

神経〆とは尻尾の断面を半分ほど切って、背骨のすぐ上を沿って走っている運動神経を
長い針金(直径1ミリほどのニッケルチタン製形状記憶合金)で頭の方へスーッと
通して破壊し即死させる(締(〆)める)ことです。
そうするとマスは一瞬ピクリとしてから全く動かなくなり、
ほとんど苦しまず即座にご臨終してくれます。

そのまましばらく海水をいれた大きなバケツに浸けておいてから、
大切に保冷剤の入ったクーラーボックスに丁寧に安置します。

このようにしてあげると、本当に臭みがなくおいしく料理をして、いただけるのです。

マスは鮭より身の舌触りがきめ細かく滑らかで、かすかですが上品な甘みもあります。
下の写真の様に釣れたばかりのマスのフライ、一晩塩をした塩焼き、
バターとハーブの香り漂うムニエル、いずれも釣れたては最高!!です。



外道で釣れたスケソウダラはタラ鍋用にさばいて下の写真の様にぶつ切りにしました。
これも新鮮なコラーゲンたっぷりで、身のプリプリ感と歯ごたえの弾力性は
何ともたまりません。

タラのぶつ切り

(外道で釣れたスケソウダラを鍋用に切ったぶつ切りです)

タラ鍋

(マスの頭や背骨のアラも一緒にタラ鍋に入れ、たくさんの野菜と豆腐とぐつぐつと)

あんなに元気に飛び跳ねる美しく銀ピカに輝くマスを殺して食べるということは、
本当に残酷で罪深いことです。
別に私は特別な宗教を信じているわけではありませんが、
その可哀想さというのはスーパーで切り身しか買ったことのない
一般の人には分かりません。

私の親しい友人の先輩歯科医はハンティングでエゾ鹿をしとめ、
自分で丁寧に血抜きしさばいた鹿肉をたまに私に送ってくれますが、
たぶん同じ気持ちだと思います。
なるべく即座に締めて血抜きをするのが大事だとおっしゃっていました。

もう一度言いますが私は何かの宗教を盲信しているわけでも、
特別な動物愛護団体に属しているわけでもありません。
しかし生き物を捕って、その生命エネルギーと栄養を食べてしか生きていけない
我々(犬もネコも魚も全ての動物も含め)は本当に残酷で罪深い存在だと思います。
釣りをするようになる前の、スーパーで買ってきた魚の切り身しか食べていなかった
過去の私も含めて、そういう罪深い存在だと思います。

15年前に、ど素人の私に海釣りを手ほどきをしてくれた、
今はもう亡き、海釣りのベテラン師匠の言葉を今でもいつも思い出します。

「玉木君、我々がそういう存在でしか生きていけないのなら、捕った魚を極力丁寧に扱いさばいて、一番おいしく料理してあげ、その身を無駄にしないで、食べ終わったときに一抹の悲しみを込めて、心の底からおいしかったねと言ってあげることが、その魚に対する感謝と罪滅ぼしの供養なんだよ。」

(札幌市 たまき矯正歯科院長 玉木弘孝)

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