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駅伝

駅伝

Tag: 院長のブログ ランニング

明けましておめでとうございます。

あなたはこのお正月、どうお過ごしですか?

札幌 矯正歯科 専門医院【たまき矯正歯科】院長の 玉木です。

私は初詣でに行ったり、お節料理を食べたり、テレビを見たり、のんびりしていました。

駅伝

ただ、だらだらしているのも、
新年のスタートにふさわしくないと思い、
2日の日にスポーツクラブで
今年の走り初(ぞ)めをしてきました。

ちょうど1時間ゆっくり約9キロ軽く流して、
20分ほどじっくりストレッチングし、
風呂に入って快い汗を流し来ました。

テレビで元旦には実業団駅伝、
2日3日は大学箱根駅伝を見て
いい刺激を受けたから、
というのもその一つの理由です。

ただ走るだけの駅伝やマラソンを
観戦するのは、
他のスポーツ観戦に比べ、
ひどくつまらないのではと
自分でも思うのですが、
自分も走るせいか、
けっこう面白くわくわく
感動するのです。

駅伝

スカーっとするようなホームランや
鋭いシュートが決まるシーンもないし、
華麗なワザや難しいテクニック、
俊敏な運動神経を見せるシーンもないし、
たまに追い抜いたり、
追い越されたりするシーンはあるが、
点の取り合いのような
ハラハラするシーンもないし、

なんか地味に何時間もただ苦しそうに
顔をゆがめながら、普通の道路を
ただ走るシーンばかりだし、

いったいどこが面白いんだろう? 
どこが感動するんだろう?

と、

自分でもふしぎに思います。

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それで自分になぜなんだろう? 
って問いかけてみたところ、
こんな答えが返ってきました。

自分の心が勝手に答える
のですから、
実にまとまりがない文章です。
(ご勘弁下さい。)

急展開で勝敗が決まる
のではなく、
一歩一歩つみかさねて
時間をかけ
ジワーッと勝負を
決めていく良さ、
(持続的・建設的・努力性)

体型的にも一見したところ
普通の人にしか見えない
ランナーとの親近感、
(自分もできる・ヒーローになれるという親近感)

自分の体重で道路を蹴って、その反発力で前に出るという
実に原始的でだれにでもできる本能的な肉体運動、
(だれにでも・いつでも・いくつになっても・男女関係なく人類始まって以来の原始的で本能的な運動の喜び)

駅伝はチームワークではあるけど、実際に走っているときは
一人で孤独に時間と自分の限界に挑(いど)みながら
つづける孤高な精神的純粋性、

駅伝

苦しいことに耐える、
安易なものに逃げない、
応援はあるが、だれも自分に代って助けてくれない、
時の運、勝敗の運に左右されない、
自分の肉体と精神の力のみの勝負、
物理的な長距離長時間を耐えて
克服する時の達成感・自尊心

遠く・長く・苦しく・つらいことを
仕事や日常的な必要性からではなく、
スポーツとして自分の意思で敢えて、
それらを好んで選択し、
自分の身に課するということに、
自分の人生上の何らかの意味を
求め、与えようとする
抽象的精神性の意義。

駅伝

具体的・即物的・打算的必要性がなくても
自身の精神的人生(山あり谷あり)の
シュミレーション的訓練の
一つのチャレンジとして
敢えて自分で自分の身に課することを
選んだからには、
たしかに遠く・長く・苦しく・つらい
ことではあるが、
それらは自分でやろうと決めた瞬間から
もはや遠く・長く・苦しく・つらいことではなくなる。

抽象的・精神的必要性から
自分で欲して選んだ苦しさは、
苦しければ苦しいほど、
快く楽しいものになる。

言語学的・修辞学的に矛盾する表現であるが、
「苦しい快さ・つらい楽しさ」
というのはあるのではないか。
あるいは、苦しさと楽しさの入り混じった
肉体的・精神的状態というものがたしかに存在し、
そこに人間という生き物は
何らかの生きる意味や自身の存在感を
確信しようとするのではないかと思ったりする。

私の作った造語として、
「たのくるしい(楽しく苦しい)」
「うれかなしい(嬉しく悲しい)」
「つらうれしい(つらく嬉しい)」
というのが我々の中に確かにあるのではないか。

まさにマラソンは「たのくるしい」のです。
だからやめられなく、
今年もつづけようと思います。

(札幌 たまき矯正歯科 院長  玉木)

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